あわにゃん日記

はてなダイアリーサービス終了に伴い、はてなブログに引っ越しました。

ぐっばい、ミヨシ!

遂にこの日がやって来てしまった。
今日はミヨシが夜のフェリーで宮崎を離れ、医者1年目の研修先に決まった神戸へ旅立つ日だ。


俺はここ数日、ミヨシに復元してもらったハードディスク内の写真ファイルをずっと整理していた。
バラバラに復元させれた10万もの画像ファイルを、「これは要る」「これは要らん」などと、ずぅぅぅぅぅぅっと整理し続けていた。
何とか、ミヨシの出発までに間に合わせたいと・・・。


ようやく今朝、その整理が終わり、一緒に過ごした大学生活7年間の写真(5000枚)をDVD2枚に焼いた。
そして、ミヨシにメールした。
「みよっぴー、写真整理終わったよー! いつ渡せばいい?」と。


午後2時過ぎ、ミヨシが俺んちにやって来た。
俺はてっきり、現在宮崎にいるミヨシ母に会えるものと思っていたが、ミヨシ母は一緒に来ていなかった。
「もう家引き払ったんでしょ? お母さんはどこいるの?」と聞くと、ミヨシは言った。
「引越作業に疲れたらしくて、今、マンガ喫茶で1人で休んでるよ〜」と。
えっ?
1人でマンガ喫茶
・・・なんて言うか、さすがミヨシの母だにゃー。
だはー。


ミヨシに7年間の思い出が詰まったDVDを渡し、その後は俺の部屋のソファーで、いつも通りの他愛ない会話をした。
そして、15分くらい経ったとき、ミヨシがソファーから立ち上がった。
「DVDありがとな! まだテレビを処分してないし、母親も待たせてるし、そろそろ行くぜ!」と。
おお、そっか。
遂に、お別れだにゃ・・・。


ミヨシの車まで一緒に付いて行った。
車に乗り込むときミヨシは、「夏とか来れそうだったら、宮崎来るよ! あいるびーばっくだし!」と言った。
ん?
I'll be back?
って、ざっけんな!
なんで最後に大嫌いな英語を使ってんだよ!
ぷぷぷっ!


そして、俺たちのいつも通りの挨拶、「ぐっばい!」をお互いに交わし、ミヨシは車を走らせた。
ミヨシの車が去っていくと共に、ミヨシと一緒に過ごした、7年間の大学生活が終わった・・・。










ミヨシと出会ったのは、7年前の春だった。
同じ大学の同じ学部に、同じ2浪をして入学し、同じ野球部に入った。
最初の1年目は、正直「変なヤツだな」って本気で思っていて、あんまり関わらないようにしていた。
でも、同じような趣味に同じような性格を持ったミヨシと、毎日野球部で一緒なのに、仲が良くならないわけが無かった。
不思議なくらい、似たもの同士だった・・・。


仲良くなってからは、野球部の練習後に毎日一緒にメシを食べ、家に帰ってからもオンラインゲームで毎日一緒に遊んだ。
野球部の遠征のホテルでは、毎日、夜寝るまでずっと、ミヨシは俺の部屋にいた。
「おまえが野球部を辞めるときは、俺も辞めるし!」とミヨシは冗談みたいに言っていたけど、去年5月、本当に一緒に辞めた。
野球は大して上手くなれなかったけど、ミヨシという生涯の親友を得たことで、俺は野球部に入って本当に良かった・・・。


楽しいこと、嬉しいことは真っ先にミヨシに報告したし、悲しいこと、辛いことは何でもミヨシに相談した。
いつも穏やかで優しいミヨシだけど、時には厳しく的確なアドバイスもくれた。
2007年3月20日、俺が3度目の留年をしたときを思い出す・・・。


それまでの2度の留年と違い、3度目は「今年はマジメにやったつもり。今年は進級できるだろう。」と思っていた中での留年だったので、俺は死にたいくらいにショックを受けた。
俺は夜中の大学の掲示板で留年を知り、気付くとそのままミヨシの家へ車を走らせていた。
次の日、朝早くから野球部の練習なのに、ミヨシは明け方までずっと、俺と一緒にいてくれた。
真夜中のファミレスで、「もう、俺、自信ないよ。放校になっちゃうよ。ポリクリとか行けないよ・・・。」と俺が弱気なことを言ったとき、ミヨシは言った。


「行けるしっ! ポリクリ行けるしっ!」


言葉づかいはいつも通りのミヨシだったけど、その言い方は、5年の付き合いで初めて聞くトーンで、まるで怒っているかのような強い言い方だった。
弱気になっていた俺への叱咤と、苦境に立った俺への激励、友人想いのミヨシの気持ちが凝縮された言葉だった。
そのミヨシの力強い言葉に、俺は、真っ暗闇の状況の中に一筋の希望の光を見た。
そして一念発起し、「2年連続、進級できなければ放校」という状況の中で、2年とも再試ゼロで進級を果たすことができた。
あの言葉から2年が経ち、俺はこの4月からポリクリに行く・・・。


これまで、ミヨシのことをこのブログに、数え切れないほどたくさん書いてきた。
それは、ミヨシが普通の人と変わってて、面白いからだ。
でも、ただ面白い奴ってだけじゃ、ブログには書けない。
そこに俺とミヨシの大きな信頼関係があり、友情があり、理解があり、愛があったからこそ、俺は何でも書けた・・・。


どんなにミヨシを馬鹿にするようなことを書いても、ただの一度もミヨシは怒らなかった。
ミヨシは細かいことを気にしない性格だが、決してそれだけではない。
俺のことを理解し、信頼してくれていたからこそ、俺が何を書いても許してくれたのだろう・・・。


照れくさくて直接は言えないけど、ミヨシ、7年間ありがとう!
おまえがいたから、俺の大学生活は楽しかったぜ!
残り2年間の大学生活は淋しくなるけど、そこそこマジメに頑張るよ!
おまえも新生活は大変だと思うけど、頑張れよ!
まだしばらくいるから、いつでも宮崎に遊びに来いよ!
んじゃ、ぐっばい、ミヨシ!