この日記は、2011年4月9日に初めて公開された、3度目の留年をしたときの日記です。
2007年3月20日(火) 悪夢
今日は朝9時から部活だった。
しかし、昨夜の雨でグラウンドが水溜まりになっていて、今日の練習は中止となった。
仕方ないので、少し自主練して帰った。
ん?
明日は休みの予定だったけど、今日の代わりに練習するの?
って、ざっけんな!
明日は優雅に昼まで寝るつもりだったのに!
自主練の後、ミヨシと担々麺を食いに行った。
すると、しばらくして、野球部の後輩たちが10人くらい、続々とお店に入ってきた。
ん?
俺とミヨシのマネをして、今日はみんなで担々麺を食うことになったの?
ざっけんな!
俺とミヨシのラブラブ空間に割り込んで来てんじゃねーよ!
一足先にお店に来ていた俺とミヨシは、先に食い終わり、部活の後輩たちを残して帰ることにした。
と言うわけで、先にレジで会計をしたら、お店のお姉さんが「いつもありがとうございます!」と言った。
もう完全に常連客だにゃー。
だはー。
それだけではなく、お店のお姉さんは「あの大勢で来たお客さんは、お知り合いですか?」と聞いてきた。
そこで、「ええ、まあ。同じ野球部なんですよ。」と答えた。
すると、「まあ! たくさん連れてきてくれて、どうもありがとう!」とお店のお姉さん。
いや、別に連れてきたわけじゃないんだけど・・・。
ま、いいや。
と言うわけで、常連客と認められただけでなく、かなりの評価アップも果たしたのだった。
おっけーおっけー!
帰宅して眠った。
そして、夜11時に起きた。
起きてケータイを見ると、学年のメーリングリストからのお知らせが届いていた。
ん!?
夕方、進級発表があったの?
あさっての予定じゃなかったっけ?
フライング?
ま、いいや。
だはー。
と言うわけで、すぐに学校へ行き、3年生の掲示板へ向かった。
ま、今年は進級は濃厚だけど、人生何があるか分からないから、一応心の準備だけはしておくにゃー。
でも、進級は十中八九、間違いないにゃー。
ぐへへへへ。
そして、去年より若干足取り軽く、掲示板の前に立った。
俺は出席番号5番だから、上から5番目にゃー!
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
夜の誰もいない学校の掲示板の前で、俺は20分間固まっていた。
なぜなら、進級発表の紙の俺の欄には、病理学と微生物学の2つに×がついていて、備考欄には「原級(専門2科目)」と書かれていたからだ。
たまに、現実離れした夢やとんでもない悪夢を見たとき、「これは夢だな」と思いながら夢を見続けるけど、そのときの気持ちに似ていた。
でも、今日はいくら待っても、俺は夢から覚めなかった。
なぜなら、今、俺の前で起きていることは現実だからだ。
夢ではないことが分かると、俺は衝動的に「死にたい」と思った。
「今、講義棟の3階にいるから、ここから飛び降りれば死ねるかな?」という情動と、「いや、死んじゃダメだ。」という理性が必死に戦っていた。
辛くも理性を保てた俺は、講義棟1階付近に停めた車に乗り、ミヨシ宅へ車を走らせていた。
ミヨシ宅に着き、ミヨシの部屋のピンポンを押すと、ミヨシが急いで出てきた。
俺が言葉を発する前にミヨシは、「俺んち今汚いから、ファミレスにでも行こう」と優しく言った。
もう、ミヨシは俺に起こった事態を知っているらしい。
その後、朝4時までミヨシは俺に付き合ってくれた。
取り乱して、「もう医者になる自信がない」だの「死にたい」だの、ありのままの感情を口にする俺に対し、ミヨシはずっと温かく接してくれた。
明日は朝から部活だから、ミヨシを家に帰し、1人で家に帰宅した。
1人になると、次々に涙があふれ出した。
悔しくて、情けなくて、辛くて・・・。
両親になんて言えばいいのだろう・・・。
明日、広島へ帰ろう。
2007年3月21日(水) お好み焼き
朝が来た。
今日はこれから広島へ帰る。
取りあえず、今週末の卒業式は出られそうにないので、毎年卒業生にプレゼントしている、俺がこれまでホームページ用に撮ってきた約2千枚の写真をDVDに焼く作業をした。
そして、完成したDVDを手に、部活へ向かった。
グラウンド前に到着すると、ナカマタがいた。
ナカマタは気を遣っていて、俺に何も言葉を掛けられないでいたので、「ざっけんな!」と言ってみた。
すると、少し笑ってくれた。
そして、卒業生プレゼント用のDVDをナカマタに託した。
その後、グラウンド内に入ると、ベンチにキャプテンのツジムラがいたので、これから広島に帰省することを伝えた。
ツジムラは「はい。了解しました。気をつけて帰省してくださいね。」と優しく言ってくれた。
朝9時の集合時間が近づき、次々と集まって来る部員たちに、空元気で「ざっけんな!」を連発した。
大好きなたくさんの野球部員たちと接し、俺は少しだけいつもの自分に戻れた。
でも、俺にはこれから、途轍もなく大きな仕事が待っている・・・。
野球部に別れを告げ、朝9時半、宮崎を出発した。
いつもならすぐ高速に乗り、熊本を通って帰るのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「悲しむ親が待っている」「親になんて言えばいいのだろう」と思うと、俺は高速道路のない大分経由で、それについて考えながら、ゆっくり広島へ向かうことにした。
下道で6時間近くかかり、ようやく俺は北九州にたどり着き、高速道路に乗った。
ここで、俺は初めて親にメールを送った。
訳は言わず、ただ「今から広島に帰るから」と。
すると、母親からすぐに「何かあったのか?」という返信が来た。
「帰って話す」と送ったら、またすぐに「留年したんか?」と返信が来た。
・・・携帯電話を持つ手が震えた。
30分掛けて、「うん。ごめん。」という短い文章を作った。
送信ボタンを押す手が、また震えた。
何とか送信を終えると、両親から相次いで、「取りあえず、運転に気をつけて帰れ」という旨のメールが届いた。
・・・。
・・・・・・。
高速道路を流れる景色が、涙でぼやけていた。
夕方6時半、ようやく広島の実家へたどり着いた。
俺は覚悟していた。
もはや、俺には何の言い訳もない。
会った途端、親父に思いっきり殴られるつもりでいた。
そして、勘当を言い渡される覚悟もできていた。
しかし、俺の覚悟と正反対の出来事がそこに待っていた。
「運転疲れたか? 腹減っとるか? 取りあえず、メシでも食えや。」と父。
「さっき、あんたの好きな店のお好み焼きを、出前で取っといたけえ。」と母。
「うん・・・。」と小さく返事をした俺は、言われるがまま、食卓のイスに座った。
そして、お好み焼きを食べた。
小さい頃から大好きなお好み焼きを口にすると、お好み焼きの温かさが口の中に広がった。
でも、本当に俺の中に広がったのは、家族の温かさだった。
・・・こんな親不孝な息子を、なぜこんなに温かく迎えてくれるの?
黙々とお好み焼きを食べながら、次々と涙が溢れた。
俺は多分、今日のお好み焼きを、一生忘れないだろう。
食後、両親と話した。
留年が決まったことを正式に報告した。
父はいつでも冷静で感情をあまり表に出さないが、母はとても気落ちしていた。
2時間あまり、こういう結果に至った原因と今後の在り方について、じっくり話した。
そして、夜9時、半年ぶりに実家の自室へ。
静寂の中、1人で穏やかに現実と向き合う。
俺は、一体どれだけの時間を無駄にしてきたのだろう。
俺は、どれだけの失敗を繰り返せば、成功へたどり着くのだろう。
俺は、過去2回の留年から、何を学んだというのだろう。
俺は、親にどれだけの迷惑と心配を掛けてきたのだろう。
・・・俺は、なんて愚かなのだろう。