あわにゃん日記

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sterben

8月から精神科での研修が始まり、早3日が過ぎ去った。
特殊な科ゆえなかなか馴染めず、パソコンの前に座ると、いつの間にか前の科の受け持ち患者のカルテを開いている。
「いかんいかん。早く新しい患者に集中せねば」と思いつつも、どうしても気になる患者さんがいて、カルテを開いてしまう自分がいる。
一番気になるのは、ある婆ちゃんの病状だ…。


この婆ちゃんは、俺が血液内科で2ヶ月フルで診させていただいた患者さんだ。
2ヶ月間、土日も毎日会いに行ってお話ししてたので、とても仲良くなった。
いつしか孫みたいにかわいがって下さり、俺が病室に行くたび、「先生、今日は昼ごはん食べれたん? 昨日はちゃんと寝た?」などと聞いてくるようになった。
「どっちが患者ですか(笑)! それ、俺が聞くことでしょ(笑)!」などと突っ込み、いつも楽しく会話していた。
冗談好きで、とても気さくな婆ちゃんだった。


そんな2ヶ月が終わろうとしているころ、病状に変化が現れた。
急激に悪化し始め、婆ちゃんは今日が何月何日なのか、季節が夏であることも分からなくなってしまった。
そんな状態で担当から外れるのは、後ろ髪を引かれる思いだった。


7月31日、別れの挨拶に行った。
「今日で血液内科での研修は終わりです。いっぱい勉強させていただき、いつも優しくしていただき、ありがとうございました。」と。
すると、婆ちゃんは初めて見るような、とても寂しそうな顔をした。
そして、少し間があった後、俺に話を始めた。


「今日でお別れかね…。しょうがないね…。これから毎日寂しくなるね…。でもね、先生に出逢えて良かった! 私は冗談が好きじゃけえ、先生と冗談を言い合うのが毎日の楽しみだったんよ。なんか私、この頃ボケ始めたみたいじゃけど、先生のことは絶対に忘れんけえ、どこかで見かけたら声かけてね。身体に気を付けて、元気で頑張りんさいよ!」


そう言うと、婆ちゃんは俺に右手を差し出し、別れの握手を求めてきた。
無理に笑顔を作って手を握り返したけど、俺の目には涙があふれていた…。
婆ちゃんの目にも…。
何となく、これが一生の別れになるような気がしてしまったからだった…。


8月に入り、担当から外れると、さらに病状は悪化し、危篤状態となった。
そして、遂に今日、恐れていた文字がカルテに記された。
「○時○分 死亡」と…。


精神科のパソコンの前で、俺はしばらく固まっていた。
仕事があったので駆け付けることもできず、ただただじっと「死亡」という重い単語を見つめていた。
感情が爆発しないように留意してしばらく過ごし、そっとカルテを閉じた。


2時間後、任されてた仕事がようやく終わり、まだ勤務時間内だったけど、俺は研修医宿舎に戻った。
家に入って白衣を脱ぎ捨て、すぐにベッドに倒れこんで目を閉じた。


蘇ってくる、毎日言い合った冗談…。
病人のくせに、いつも俺の体調を心配してくれた優しさ…。
今日の日付は分からないくせに、俺の名前を問うと「アワヤ先生!」と即答してくたときの笑顔…。
たった数日前の「先生に出逢えて良かった」という言葉…。
最後に差し出した婆ちゃんの手のぬくもり…。


気付くと、声を上げて泣いていた。
悲しみと自分への責めの混じった、複雑な涙だった。
あんなに良くしてもらったのに、俺はいったい婆ちゃんに何をしてあげられたというのだろう…。
医師として、人間として、もっと婆ちゃんにしてあげられたことがあったんじゃないのか…。
こんなちっぽけな俺に…、何の役にも立てなかった俺に…、「出逢えて良かった」だなんて…。






どれだけ時間が経っただろう。
涙が枯れ果てた頃、俺の院内PHSが鳴った。
「今から検査するよー」と指導医の声。
「わかりました! すぐ行きます!」と、俺は無理して元気よく答えた。
そして、再び白衣を着て、病棟へ向かって走り始めた。
目の前の患者さんのために精一杯頑張ることが、これまで勉強させてもらった患者さんたちへの恩返しになると信じて…。




婆ちゃん、ありがとう。
俺も絶対に忘れんけえね。


…あなたに出逢えて良かった。





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