あわにゃん日記

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ブロッコリー

今日は昼に起き、火曜日の試験勉強でもしようかと思った。
でも、気付くとまたインターネット麻雀をしていた。
結局、今日も1分も勉強せずに1日が過ぎていった。
うーん、1日って過ぎるの速いにゃー。
だはー。


唐突だが、俺は食べ物の好き嫌いが多い。
いわゆる「偏食家」である。
最も苦手なのが野菜で、今はだいぶ食べられるようになったが、幼い頃は完全に拒否していて、一切食べなかった。
果物だけで生きていた。


当然ながら、小学生の頃、給食の時間が嫌で嫌で仕方なかった。
給食を残すときは、「これ、残していいですか?」と担任の先生に聞かなければならないルールがあった。
多くの先生は、「しょうがないね、いいよ。」とか「少しだけでも食べてみたら? 無理ならいいけど・・・。」という反応だった。
しかし、小2の担任のM先生(当時35歳女性)だけは、違った。
彼女は異様に好き嫌いに厳しく、一口だけでも食べることを強要した。


ある日、俺はブロッコリーが食べられなかったが、一口食べるまでは残すことを許されなかった。
でも、どうしても食べることができず、昼休みの時間を終えてしまった。
昼休み後の5時間目の授業も、6時間目の授業も、俺の机にはブロッコリーがあり続けた。
授業が終わっても、一口食べるまでは帰ることを許されず、みんなが帰った教室で俺は1人、机の上のブロッコリーとにらめっこしていた。


夕方5時頃、職員会議を終えたM先生が、俺の様子を見に教室にやってきた。
「まだ食べてないの!? いつまで経っても帰れないよ!」とM先生。
それでも頑なにブロッコリーを拒否する俺に、先生も業を煮やしたらしい。
彼女はスプーンでブロッコリーを拾うと、俺の口を無理矢理に開き、俺の口にブロッコリーを押し込んだ。


・・・人生最大の屈辱だった。
何度も吐きそうになったが、口元にはM先生の手が押し付けられていて、吐けなかった。
あまりの辛さに、気付くと俺は涙を流していた。
でも、ブロッコリーが不味くて泣いたんじゃない。
M先生という大人が正義を身勝手に押し付けるのを、まだ子どもゆえ抵抗できないことが悔しくて涙が出たんだ・・・。


忘れ物したり、遅刻したり、同級生をからかって泣かせたりして怒られるのは納得できていたけど、このことだけは全く理解できなかった。
その日の薄暗い帰り道、屈辱に拳を震わしながら俺は、「食べ物の好き嫌いをすることが、そんなに悪いことなの? 俺だって、何でも食べられる人間になりたかったけど、どうしても無理だったんだ。俺はあんな理解の無い大人にはならない。」と思った。


M先生も「やりすぎた」と思ったのか、あるいは「この子に食べさせるは無理だ」と思ったのか分からないが、その日以降はそんな「拷問」は行われなかった。
しかし、俺の心には大きな傷が残り、M先生のことも、野菜のことも更に大嫌いになってしまった。


あれから20年が経ち、いつの間にかブロッコリーは食べられるようになっていたけど、今でもブロッコリーを見るたびに、あのときの嫌な記憶がよみがえる。
確かに、大人が言うことは正しいことが多い。
しかし、それを子どもにうまく伝えるのは難しい。
適切な伝達手段を選ばなければ、繊細な子どもは傷つき、意図とは逆の結果をもたらすこともある。
20年前を思い出すたび、「俺はあんな大人にはならないように気をつけなきゃな」と思う。