あわにゃん日記

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ガキ

やばい!
気付けば冬休みもあと2日!
この週末が終われば、月曜からまたポリクリだ!
つぁはぁ〜!


今日は、焦って日記を書きまくった。
宮崎では放送しなかった「ガキの使い」の大晦日スペシャルをyoutubeで見ながら、ひたすら日記を書きまくった1日だった。
よし、今日は7日分(11/25〜12/1)も更新したにゃー!
ようやく12月に突入にゃー!
おっけーおっけー!


ところで、昨日は高校の卒業式の日のことを書いた。
ワキタ先生はとても素敵な先生だと書いた。
今、たまに中高時代を思い出すと、友人たちの顔と一緒に、必ずカワキタ先生の顔を思い出す。
俺にとって、そのくらい大切な恩師だ。


でも、正直に言うと、俺はずっと、カワキタ先生があんまり好きじゃなかった。
俺は中学時代剣道部で、カワキタ先生が剣道部顧問だったのだが、俺が部活をサボるたびにカワキタ先生は家まで電話を掛けてきた。
何度サボっても、諦めずにしつこく電話を掛けてきて、ガキの俺は、非常にうっとうしく思っていた。


それから、ウチの学校は生徒の自主性に任せてると言うか、放っておいてもほとんどの生徒は勝手に勉強するので、どんなに悲惨な成績を取っても、怒られるようなことはなかった。
しかし、カワキタ先生だけは、しつこく俺を呼び出し、個別に補修プリントを渡して来て、俺に勉強を強要した。
ガキの俺は、「他の先生みたいに、ほっといてくれよ! いつかちゃんと勉強するよ!」と思っていて、これまた非常にうっとうしく思っていた。


昨日も書いたが、ウチの学校は中高一貫教育校だ。
それゆえ、数学や国語、英語などのメジャー科目は、たくさんの先生がいた。
学年が変わると先生も変わったりして、色んな先生に習ったけど、教師が1人しかいない美術や音楽ならまだしも、数学だけは6年間ずっとカワキタ先生だった。
「また数学はアイツかよ!」と毎年思っていたら、それ以上に最悪なことに、高2のクラス替えで初めてカワキタ先生のクラスになってしまった。
中1〜高2までは毎年クラス替えがあったけど、高2から文系と理系、理系の中でも日本史選択、地理選択などでクラスが決められたので、高2→高3だけはクラス替えが無い。
最後の最も大事なクラス替えで、最もうっとうしい教師が担任になってしまい、非常にガッカリした記憶がある。


在学中はずっとうっとうしく思ってたけど、今はとても感謝していて、人生で一番の恩師だと思っている。
いや、多分、10年前のガキの俺も分かっていたはずだ。
誰が本当に生徒想いで、誰が本当に信頼すべき先生なのかを。


高3の受験期を迎えても俺は一切勉強せず、センター試験では医学部志望なのに全国平均を割るという腐った成績で、ほとんどの科目は偏差値40台だった。
でも、なぜか数学のみ、偏差値60を越えていた。
それが誰のおかげかは、火を見るより明らかだった。


2年間の浪人中、毎年受験期にはカワキタ先生のところへ高校の調査書などをもらいに行ったけど、毎回親身に励ましてくれた。
ワキタ先生の応援は、他のどの先生よりも心強かった。
そして、医学部に合格したとき、俺は思わずカワキタ先生に電話していた。
電話口で喜ぶ先生の声を聞きながら、「中高時代は勉強も部活もちゃんとやらず、心配と迷惑ばかりかけたけど、初めて恩返しができたな」と、非常に嬉しく思った。


毎年、多くの生徒が入学し、多くの卒業を見送っているのだろうけど、果たしてカワキタ先生は俺のことを覚えているのだろうか。
合格報告以来、8年も連絡取ってないから、あるいは忘れられたかもしれない。
いや、忘れられてたっていい。
きっと、俺がカワキタ先生と、彼に教わったことを忘れなければ、それでいいのだろう。