あわにゃん日記

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天国から地獄

今日はずっと家にいて、のんびり過ごした。
うーん、相変わらず、週末はネタが無いにゃー。
つぁはぁ〜。


今日、パソコンでニュースを見ていたら、数日前に捕まった市橋達也容疑者の記事が載っていた。
2007年3月に英国人女性を殺害し、1年8ヶ月の逃亡の末、数日前に捕まった殺人犯だ。
記事によると、逮捕以来、彼はずっと食事を拒み続けているらしい。
えっと、捕まったのが今月10日だから、もう5日もメシ食ってないのかー。
食べる気が起こらないのかにゃ?
それとも、何らかの抵抗なのかにゃ?


市橋の話は置いといて、俺も人生の中で一度だけ「食事がノドを通らない」という状況があった。
それは2浪の大学受験のときだった。
俺はセンター試験でまずまずの成績を残し、センターリサーチ*1では模試でも1回も見たことのない「A判定」をもらった。
俺はかなりの精神的余裕を持って、前期の宮崎大学医学部を受験した。


「2次試験を余程失敗しなければ合格する」という状況の中で、そこそこの手応えがある出来だった。
帰りの飛行機ではもう合格したような気分になり、広島に戻ってからも、発表までの2週間、遊んで過ごした。
「3年にもわたった大学受験から、やっと解放されるにゃー!」とか「高3のとき(偏差値40)には夢のまた夢だった国立医学部に入れるなんて、俺もよく頑張ったにゃー!」とか思って、とても幸せな気分だった。
しかし・・・。


忘れもしない2002年3月7日、実家のリビングでテレビを見ていたら、母親がレタックス*2を郵便受けから持ってきた。
俺は自室に戻り、ワクワクして封筒を開けた。
そこから取り出した1枚の紙には、4ケタの数字の受験番号が、60個ランダムで並んでいた。
・・・俺が頭で連呼している番号は、そこには無かった。
・・・ワクワクムードが、一気に凍りついた。


目の前が真っ白になった。
まさに「天国から地獄」だった。
人生の中で、もっともショックを受けた瞬間だった。
「これで不合格なら、俺は永遠に医者になれない」と思った。
自分の将来に対する絶望感と、期待して待ってくれてる家族や友人に対する罪悪感でいっぱいになった。


不合格を家族に伝えた後、俺は1人暮らしをしていたアパートに戻った。
1人っきりになると、孤独感も合わさって、勝手に涙が出てきた。
いくら泣いても、涙は止まらなかった。
食欲も一切湧かず、5日間、一度もメシを食わなかった。
「人間って、絶望という状況では腹が減らないんだな」と思った。


後期試験に再び宮崎へ出発する前日、「さすがにこの状態じゃマズい」と思って、不合格以来初めてメシを食った。
「食った」と言うよりは、「口の中に押し込んだ」という感じだった。
そして、2浪中、辛いときには必ず聴いてたコブクロの「YELL 〜エール〜」という曲を200回くらい聴いて、ようやく「ラストチャンスに賭けよう!」という気持ちになり、宮崎へ向かった。


後期試験はあんまり出来ず、「合格確率は5%くらい」と思っていたが、なぜか合格した。
「人生、分かんないもんだな」と思った。


今でも、何か辛いことがあると、この「天国から地獄」のことを思い浮かべる。
どんな辛いことでも、あのときの絶望感に比べれば、大したことは無い。
例えば、留年したときだって、「医学部に在籍してるだけ、あの頃よりどんなに夢の近くにいるのだろう。あのときに比べれば、大したことじゃない。」と思えた。
・・・って、だから3回も留年しちゃったのかにゃ?
だはー。




*1:センター試験の自己採点結果から、志望校の合否を予測するもの。

*2:FAXを封筒に入れて届ける郵便。