あわにゃん日記

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悲しいニュース

今日は午後から、今年からの新科目「受胎・発生・成長・発達」の試験だった。
1回目の試験のときには、4つの分野ごとに4回あると言われていたこの科目の試験だが、後ろ3つの分野の試験はまとめて今日行われた。
前回同様、学生の負担を軽減するために、今回も試験問題は事前に公開されていた。
と言うわけで、今朝8時から勉強を開始したばかりだったが、まずまずな結果を残せた。


本当は、昨日学校から帰宅してすぐに、この試験の勉強を開始する予定だった。
しかし、帰宅したときに郵便受に入っていた中学高校同窓会からの会報を見て、テンションが下がってしまった。
その会報に、俺が中2のときの、歴史の先生が亡くなったというニュースが載っていたからだ。
知ってる人が死ぬと、とても悲しい。


さらに会報を読み進めていくと、俺より6つ下の後輩が1人亡くなったというニュースも載っていた。
知らない人だし、なぜ亡くなったかのかも分からないけど、自分と同じ中学高校で過ごした人が死んだというのは悲しい。
そして、それが自分よりも若い人だというのは、なおさら悲しい。


テンションが下がった後、いつものようにインターネットでニュースを見たら、前東京都知事青島幸男さんと、女優の岸田今日子さんも亡くなっていた。
テレビでよく見ていた人が死ぬと、悲しい。
特に岸田今日子さんは、俺が高1のときウチの高校の文化祭に講演にいらっしゃり、生でお話を聴いて親近感を持ってた人なので、とても悲しい。


そんな数々の訃報にすっかりテンションが下がった俺は、取りあえず眠ることにした。
そして、今日は早朝3時に起きた。
起床後の一服をしながらパソコンを見たら、今度はお笑いコンビ・カンニング中島忠幸さんが亡くなったというニュースが載っていた。
またまた、悲しい気分に戻ってしまった。


カンニングは、小学生の頃からの仲良しによるコンビだ。
長い長い下積み時代が終わり、30歳を越えてようやくブレイクし始めた矢先、中島さんは急性リンパ球性白血病に冒された。
そして、中島さんは今日まで2年間の闘病生活、相方の竹山さんは1人での芸能活動を余儀なくされた。


俺はこの2年間、竹山さんが1人で仕事をするときもずっと、「カンニングの竹山」と名乗り続けていたのを見てきた。
また、その間ずっと、竹山さんが給料を相方と折半していたということも知っていた。
俺はそのコンビ愛に感動していた。
そして、「中島さんが病気から復帰し、また2人で漫才ができますように」と、ずっと祈っていた。
しかし、最も残念な形になり、とても悲しい。


人が死ぬと、とても悲しい。
俺が初めて人の死を見たのは、小学2年生のときだった。
訃報を聞いて母方の実家に駆けつけたときには、祖父はもう冷たくなって棺桶の中にいた。
2日前に遊びに来たときには確かに生きていた人が、もはやただの「物体」に変わり果てていた。


「人は死ぬ」という当たり前のことが、俺にとっては、他の何よりも悲しくて、何よりも許せなくて、何よりも不思議なことだった。
そのときだけじゃなくて、それから先もずっと。
そして、今も。


だから俺は、医師という職業に憧れたのだろう。