あわにゃん日記

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独眼竜

今日は部活がなく、学校も出席を取らない。
と言うわけで、一日中家にいた。


先週、微生物実習が免除だったせいで、この頃ほとんど家に引きこもっている。
先日、俺の好きなテレビ番組について書いてみたが、平日は毎日、スカパーで「独眼竜・政宗」を見ている。
1987年に放送されたNHK大河ドラマで、奥羽の戦国大名伊達政宗が主人公である。
当時は大河ドラマ黄金期で、最高視聴率は48%くらいあった人気時代劇である。


先月からその「独眼竜・政宗」の全50話が、スカパーの時代劇専門チャンネルにおいて月〜金まで週に5話ずつ放送されていて、それを見るのが俺の日課となっている。
総集編は数年前に見たが、全話じっくり見るのは初めてだ。
人気ドラマだけあって、非常に面白いにゃー。
それから、主演の渡辺謙の演技は最高だにゃー。
だはー。


伊達政宗(1567-1636)は、東北地方南部を治めていた大名・伊達輝宗の長男として生まれた。
幼い頃に疱瘡(天然痘)で右目を失ってしまった政宗だが、聡明だったため、19歳の若さにして父から家督を譲られ、伊達家の当主となる。
政宗は、政宗15歳の時に死んだ織田信長に憧れを持っていて、信長と同じのように天下を狙う。
そして、周辺の諸大名と戦を繰り返し、家督相続後わずか数年にして、伊達家の領土を歴代最高の広さまで広げる。


しかし、当時の情勢は、信長の死後に台頭した豊臣秀吉が、天下を手中に収めつつあった。
1590年、豊臣秀吉小田原城(現・神奈川県)の北条氏を20万の大軍で攻めた。
政宗は秀吉から、小田原攻めに加わるように要請される。
断れば北条氏の次は、伊達家が攻められることは明白だった。
秀吉の圧倒的な兵力をを敵に回せば、勝ち目はほとんどない。
しかし、小田原へ行けば秀吉の配下になることになり、天下統一の野望は捨てなければならない。


ギリギリまで悩んだ政宗は、結局小田原へ行き、秀吉の配下となる。
その後、天下への野望を捨てきれなかった政宗は、色々と画策して天下を狙うものの、豊臣秀吉やその死後に天下を治めた徳川家康の強大な力には及ばなかった。
しかし、終生、天下獲りの機会をうかがい続けていたと言われている。


ドラマ放送当時に言われていたことだが、秀吉・家康と伊達政宗は、プロ野球で言えば、長嶋・王と清原くらいの年齢差がある(清原は当時20歳)。
政宗は「あと20年早く生まれていたら・・・」とよく言っていたらしい。
政宗が言うとおり、もう少し早く生まれていていたら、あるいは政宗が天下を統一していたかもしれないにゃー。
俺は、そんな想像を膨らませるのが好きである。
そして、そんな想像をさせてくれるほど有能で野心家だった政宗が、大好きである。