あわにゃん日記

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今日は8時に目が覚めた。
早速テレビをつける。
どのチャンネルを見ても、平和記念式典の中継をやっていた。
そして、迎えた8時15分、黙祷の鐘が鳴った。


この鐘が鳴る1分間、俺はベッドに横になったまま、目を閉じて色々なことを考えた。
ちょうど60年前の今日この日この時間・・・。
たった1発の原子爆弾が、一瞬にしてこの広島を壊滅させた。
原爆により、当時の広島市の人口の半分である15万人が死んだ。
70年間は草木も生えないと言われた、広島。


俺の祖父も被爆した。
爆心地からは少し離れていたので、爆風や熱線による被害は比較的少なかった。
そして、ちょうど建物内にいたので、放射能の直撃を免れ、運良く生き延びた。
窓側の席にいた人は、しばらくして放射能障害で死んだらしい。


あのとき、もし祖父が死んでいたら、その3年後に父は生まれていないし、さらにその33年後に俺も生まれていない。
本当に紙一重だ。
俺は運良く生まれたことに感謝しつつ、犠牲となった15万の命に恥じぬように生きていかねばならない。


なーんて、ちょっと真面目なことを考えたりしながら、出かける準備をした。
今日からパチンコで金稼ぎだ。
が、インターネットで目星を付けておいた十数店は、どこも釘が渋かった。
土曜日だからかにゃー。
結局、リストアップした店を全部回ったが、ダメだった。
試し打ちなどで、1万7200円の負けを喫した。


夜8時にパチンコ屋めぐりを終え、帰宅した。
帰宅して、今日家に帰ってきた親父にパソコンを教えた。
それを見ていた母親が、「あんた、ホームページ作れるん?」と聞いてきた。
「野球部ホームページを作ってる」などと言ったら、この恥ずかしい日記に辿り着かれてしまうのは必至なので、「そんな高度なことはできんわい」と言っておいた。


すると母親は言った。
「あんたの野球のシャツ洗濯したけど、背中に『ホームページ係』って書いてあったよ」と。
つぁはぁ〜!
「ああ、あれね。学校でしか見れんホームページがあるんよ」などと訳の分からないことを言って適当にごまかし、逃げるように自室に帰ったのだった。